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2005年 04月 12日
JAN(ジャパン・アチェ・ネット)大川誠一氏より、去る1月以来、JANに届いた寄付金の第1回使途について、報告が届いている。詳細は既にGBIホームページで公開されているので、そちらを参照されたい。
http://clik.to/GBI --------------------------------------------- 【義援金送金先】 郵便振替口座 口座番号:00190-5-544521 加入者名:インドネシア文化宮 (尚、通信欄に「アチェ地震」とご記入下さい) --------------------------------------------- 最終的に決定された支援プログラムについて、二、三触れてみる。 今回、JANによる支援は、全アチェ州小・中・高生による「作文・絵画・詩朗読コンテスト」という形で実施されることになった。一面きわめてジャーナリスティックな企画であり、また他方ではきわめて遠大な構想でもあると思う。 過去に日本では、新聞社が主となって子供たちの「作文コンクール」「絵画コンテスト」といった事業が行われていた(一部は現在も継続されているだろう)。勿論それと、この企画とを同列に論じることはできない。意義も趣旨も異なるのだから。ただ報道機関の発想というものが、国を問わず、似た形に結晶することに、ふとした感慨を覚えただけである。ひとつだけ言えば、阪神大震災、また昨秋の中越地震、それらの災害に直面して、日本の新聞社でこうした企画にまで発展したところがあっただろうか、寡聞にして知らない。 作文、絵画はコンテストとしても形が見えやすく、日本でも上術の通り、しばしば行われている。しかし「詩の朗読」部門というのは、いかにもインドネシアらしく、かつアチェらしいと思ったことだ。日本では「朗読」という行為は、少なくとも近代には、芸術的営為として余り認められてこなかったような気がする。近代日本語の特質とも関わりあるのだろうか…最近でこそ、一部に芸術家のパフォーマンスとして行われたりするが、それ程定着した感はない。 だが欧米では朗読は一つの演劇的、あるいは芸術的行為として、さまざまに演じられている。そして私が、インドネシアに関わるようになって驚いたのは、この国の人たちがいかに「語る」ことに長け、かつ惹きつけられるかということだった。現在を生きている詩人、小説家…などにしても、しかりである。レンドラ、プトゥ・ウィジャヤ、私が聴いたのは極僅かな例でしかないが、彼らの語りには文字で読む以上の豊かさがあり、世界は違った色合いを帯びて、ありありと眼前に現れた。声の向こうに立ち上がる世界、それを見せてくれたのがインドネシアの人々の「朗読」だった。その時はじめて、スカルノの雄弁に酔い、繰り返しそれを求めたという聴衆の心が判ったような気がしたものである。 アチェは「語り」で知られていると聞く。イスラムの伝統が最も強く行き渡っているこの地域だからこそなのかどうか、そこまで私に言うことはできない。だがこうした先入主によってか、この部門が設けられたことに驚きと喜びを覚えたと言おう。 3月28日、再び起きたニアス島地震を含め、今のスマトラ及びアチェには決して明るい光が射してはいない。それは誰の目にもしるく映っていることだろう。また政府による復興予算の相当程度が、軍事基地建設に充てられる、という話も聞く。 このような有様を見ると、さまざまな段階で、国家内における余りの溝の大きさに溜息が出るばかりだが、単なる外国の一市民に過ぎない者としては、対応できるところに希望をもつしかない。そして、その希望を何よりも必要としている普通の人々に、自分のできることは何か、一つずつ考えてゆきたい。 このSerambi Indonesiaによる企画が、アチェの子供たちの心に明るい光をもたらす一つであるように、ただ祈る。
by ibuhijau
| 2005-04-12 05:27
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